漂泊の俳人・種田山頭火

 

歩かない日はさみしい  飲まない日はさみしい
  作らない日はさみしい 


山頭火の人と生涯
 明治15年、現在の山口県防府に生まれる。
父の放蕩、母の死。家の没落。悲惨な境涯を背負いながら、托鉢行脚の旅に生きた男。
鉄鉢に米を乞い、木賃宿の片隅に疲れた身を横たえ、酒をあおり、安住の地を求めつつ、 流浪の日々を一行の句に託し、 独自の句風(口語自由律) を花開かせていった俳人、種田山頭火。
その作品と生涯に、私たちの心が揺り動かされる。

    山あれば山を観る
    雨の日は雨を聴く
    春夏秋冬
    あしたもよろし
    ゆふべもよろし


―私の選んだ山頭火作品―

 

こんなにうまい水があふれてゐる

 

しみじみ食べる飯ばかりの飯である

 

病んで寝て蝿が一匹きただけ

 

こころ疲れて山が海が美しすぎる

 

好きな山路でころりと寝る

 

火のない火鉢があるだけ

 

飯のうまさもひとりかみしめて

 

枯草山に夕日がいっぱい

 

ひとりきりの湯で思ふこともない

 

分け入って分け入っても青い山

 

笠にとんぼをとまらせてあるく

 

まっすぐな道でさみしい

 

ぶらさがってゐる烏瓜は二つ

 

すべってころんで山がひっそり

 

雨の山茶花の散るでもなく

 

秋となった雑草にすわる

 

笠も漏りだしたか

 

うしろすがたのしぐれてゆくか

 

今日の道のたんぽぽ咲いた

 

あるけば蕗のとう

 

何が何やらみんな咲いてゐる

 

あざみあざやかあさのあめあがり

 

いつも一人で赤とんぼ

 

夕立が洗つていつた茄子をもぐ

 

月夜、あるだけの米をとぐ

 

うれしいこともかなしいことも草しげる

 

山から山がのぞいて梅雨晴れ

 

ふるさとの水をのみ水をあび

 

昼寝さめてどちらを見ても山

 

すわれば風がある秋の雑草

 

ここで寝るとする草の実のこぼれる

 

病めば梅ぼしのあかさ

 

山から白い花を机に

 

ここまでを来し水飲んで去る

 

にぎやかに柿をもいでゐる

 

あたたかい白い飯が在る

 

洗えば大根いよいよ白し

 

ことしも暮れる火吹竹吹く

 

一つあれば事足りる鍋の米をとぐ

 

声はまさしく月夜はたらく人人だ

 

水に放つや寒鮒みんな泳いでゐる

 

一つあると蕗のとう二つ三つ

 

つるりとむげて葱の白さよ

 

朝焼夕焼食べるものがない

 

ふつとふるさとのことが山椒の芽

 

枯草、みんな小便かけて通る

 

年とれば故郷こひしいつくつくぼうし

 

けふのべんたうは野のまんなかで

 

風の中声はりあげて南無観世音

 

ふりかへらない道をいそぐ

 

いただいたハガキにこまごま書いてゐる

 

水飲んで尿して去る

 

けふも大空の下でべんたうをひらく

 

ゆっくり歩かう萩がこぼれる

 

すこし熱がある風の中を急ぐ

 

けふのべんたうは橋の下にて

 

飲まずに通れない水がしたたる

 

泊めてくれない村のしぐれを歩く

 

酒がやめられない木の芽草の芽

 

投げ出した足へとんぼとまらうとする

 

ありがたや熱い湯のあふるるにまかせ

 

風ふいて一文もない

 

人のなさけが身にしみる火鉢をなでる

 

すみれたんぽぽさいてくれた

 

ほととぎすあすはあの山超えて行かう

 

あの雲がおとした雨に濡れてゐる

 

電線の露の玉かぎりなし

 

放ちやるいなごがうごかない

 

朝の草の花二つ見つけた

 

大地ひえびえとして熱のある体をまかす

 

このまま死んでしまふかも知れない土にねる

 

けふもぬれて知らない道をゆく

 

殺した虫をしみじみ見てゐる

 

だるい足を撫でては今日をかへりみる

 

けふのべんたうも草のうへにて

 

食べてゐるおべんたうもしぐれて

 

一椀の茶をのみほして去る

 

だんだんと晴れてくる山柿の赤さよ

 

お天気がよすぎる独りぼっち

 

木の芽草の芽あるきつづける

 

すつかり枯れて豆となつてゐる

 

酔うてころろぎと寝てゐたよ

 

雨だれの音も年とつた

 

物乞ふ家もなくなり山には雲

 

鉄鉢(てっぱつ)の中へも霰(あられ)寒い雲がいそぐ

 

ふるさとは遠くして木の芽

 

笠へぽつとり椿だつた

 

いただいて足りて一人の箸をおく

 

秋風の石を拾ふ

 

うつりきてお彼岸花の花ざかり

 

ふゆ空から柚子の一つをもらふ

 

あれこれ食べるものはあつて風の一日

 

水音しんじつおちつきました

 

落葉ふる奥ふかく御仏を観る

 

雪空の最後の一つをもぐ

 

雪へ雪ふるしづけさにをる

 

茶の木にかこまれそこはかとないくらし

 

ひつそりかんとしてぺんぺん草の花ざかり

 

人が来たよな枇杷の葉のおちるだけ

 

けふは蕗をつみ蕗をたべ

 

すずめをどるやたんぽぽちるや

 

もう明けさうな窓あけて青葉

 

すツぱだかへとんぼとまらうとするか

 

けふもいちにち風をあるいてきた

 

あるけば草の実すわれば草の実

 

うつむいて石ころばかり

 

若葉のしづくで笠のしづくで

 

待つてゐるさくらんぼ熟れてゐる

 

山のいちにち蟻もあるいてゐる

 

雲がいそいでよい月にする

 

わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく

 

ひさびさにもどれば筍によきによき

 

朝露しつとり行きたい方へ行く

 

笠をぬぎしみじみとぬれ

 

酒をたべてゐる山は枯れてゐる

 

しんみり雪ふる小鳥の愛情

 

何もかも雑炊としてあたたかく

 

閉めて一人の障子を虫が来てたたく

 

ひょいと穴からとかげかよ

 

百合咲けばお地蔵さまにも百合の花

 

おちついて柿もうれてくる

 

わかれてきた道がまつすぐ

 

春が来た水音の行けるところまで

 

梅もどき赤くて機嫌のよい目白頬白

 

この道しかない春の雪ふる

 

山ふかく蕗のとうなら咲いてゐる

 

ひとりたがやせばうたふなり

 

ころり寝ころべば青空

 

春の雪ふる女はまことうつくしい

 

ふるさとはあの山なみの雪のかがやく

 

麦の穂のおもひでがないでもない

 

また一枚ぬぎすてる旅から旅

 

あるけばかつこういそげばかつこう

 

のんびり尿する草の芽だらけ

 

山のふかさはみな芽吹く

 

青葉わけゆく良寛さまも行かしたろ

 

こころむなしくあらなみのよせてはかへし

 

あうたりわかれたりさみだるる

 

こころおちつけば水の音

 

柚子の香のほのぼの遠い山なみ

 

ほんのり咲いて水にうつり

 

ひよいと芋がおちてゐたので芋粥にする

 

秋ふかい水をもらうてもどる

 

あつまりてお正月の焚火してゐる

 

しみじみ生かされてゐることがほころび縫うとき

 

ひなたはたのしく啼く鳥も啼かぬ鳥も

 

藪から鍋へ筍いつぽん

 

 

ゆふべなごやかな親蜘蛛子蜘蛛

 

しぐるるやあるだけの御飯よう炊けた

 

わかれてからまいにち雪ふる

 

窓あけて窓いつぱいの春

 

草にすわり飯ばかりの飯

 

ひつそりと蕗のとうここで休まう

 

このみちをたどるほかない草のふかくも

 

山からしたたる水である

 

むすめと母と蓮の花さげるくる

 

燃えに燃ゆる火なりうつくしく

 

水音けふもひとり旅ゆく

 

山のしづけさは白い花

 

炎天のレールまつすぐ

 

 

鉦(かね)たたきよ鉦をたたいてどこにゐる

 

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 家を持たない秋がふかうなるばかり

行乞流転のはかなさであり独善孤調のわびしさである。

私はあてもなく果てもなくさまよひあるいてゐたが、人つひに孤にならず、欲しがつてゐた寝床はめぐまれた。

 

 昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。

 曼殊沙華咲いてここがわたしの寝るところ

 

 私は酒が好きであり水もまた好きである。昨日までは酒が水よりも好きであつた。今日は酒が好きな程度に於いて水も好きである。明日は水が酒よりも好きになるかもしれない。

 「鉢の子」には酒のやうな句が多かつた。「其中一人」と「行乞途上」には酒のやうな句、水のやうな句がチヤンポンになつてゐる。これからは、水のやうな句が多いやうにと念じてゐる。淡如水――それが私の境涯(きょうがい)でなければならないから。

 (昭和八年十月十五日、其中庵にて山頭火)

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